磐之媛命皇后について       

磐之媛命のイメージ
万葉伝承期、伝説の歌人・磐之媛命はどのような風情
の人であったのだろうか?彼女が生きた4世紀といえば
いわゆる古墳時代、人々の様子は、かって埴輪や土偶か
ら偲ぶしかなかった。

しかし1985年、未盗掘だった斑鳩・藤ノ木古墳の調
査で発見された数々の宝飾品の見事さ・あでやかさは、
それまでの古墳時代への固定観念を根底から覆してしま
い、新たな謎とロマン呼び起こすことになった。
そして磐之媛命も、まるで吉祥天女のようにあでやか
で優雅な姿で脳裏に蘇るのである。時代考証的には両者
に多少の隔たりはあるが、二人とも愛情豊かな妻であり
、また母親の立場でもあったという共通点がある。

いつの日か、彼女の墓所であるヒシアゲ古墳の調査が
行われ、磐之媛命の姿がより鮮明に浮かび上がる瞬間が
待ち望まれる。

なお、万葉時代や古墳期の女性像については川崎幸子
氏の創作博多人形が著名であり、磐之媛を題材にした作
品もあるようだが、ネット上から鮮明な画像を入手でき
なかったので、他の代表作の一つである古代人形の写真
を掲載した。

写真1藤ノ木古墳出土宝飾品
:レプリカ(クリックで拡大)


 
図1浄瑠璃寺吉祥天立像(模写)
(クリックで拡大)


写真2川崎幸子の博多人形(古代人形)
(クリックで拡大)


磐之媛の葛城氏
4世紀後半から5世紀かけて、大倭国葛城県長柄里(現、御所市
名柄)に拠点を置く豪族「葛城氏」は、王家(天皇家)と大和一帯を
東西に二分するほどの巨大な勢力を持っていた。もともと葛城氏は、
大和政権の対外進出や外交関係を担っていたのだが、当時の大和
王家の政治的基盤が脆弱であったため、世の中は葛城氏と王家に
よる両頭政治が行われていたのである。
葛城・御所一帯には今でも多くの古墳が残されているが、全長
240メートルの室宮山古墳を筆頭に、200メートル級の古墳が8基
もあり、葛城氏の往時の隆盛ぶりが偲ばれる。

葛城氏が強大な勢力をもつにいたった背景としては、
1)対外進出に伴う朝鮮半島からの渡来人を葛城一帯に住まわせ
その技術力を活用した工業製品の交易で莫大な利益を得たこと。
2)王家と継続的な婚姻関係結ぶことによって、大和王権の外戚(母
方の親族)として政治的に大きな発言力を維持したこと。
などが挙げられる。

『紀氏家牒』によれば、葛城氏の祖は葛城襲津彦(かずらき の そつ
ひこ)という人で、王家の将軍・使人として朝鮮半島に派遣され、神功
皇后摂政62年条に新羅征討の記録がある。襲津彦はこのような戦い
での人質や、朝鮮半島の戦乱を避けて渡来してきた人々を、桑原(現
御所市池之内)・佐糜(さび、現御所市佐味)・高宮(現御所市鳴神、
伏見、高天)・忍海(おしぬみ、現葛城市新庄)の「4邑」に住まわせた。
 注)邑[音]ユウ(漢) 古代の集落の総称、地方の町や村
これら「4つ邑」はいずれも葛城地方の襲津彦の拠点とその周辺地域
に展開して生産活動を分掌し、土器や金属ガラス製品製造の工業
団地を形成していた。
そして、この地から東は飛鳥を経て伊勢路へ、西は水越峠を越えて
河内や難波津へ、南は紀路・紀ノ川ルートを介して海外へ出ることが
でき、手広い交易によって葛城氏は巨万の富を得ることができた。

一方、葛城氏は応神天皇以降の大王に次々と一族の女性を入内さ
せた。その端緒となったのが、ほかならぬ、襲津彦の娘の磐之媛に他
ならない。彼女は仁徳天皇の皇后となり、なんと履中・反正・允恭の
3天皇を生んだのである。 そして履中天皇は、襲津彦の孫に当たる
黒姫を皇后とした。また、襲津彦の祖孫(一説に孫)に当たる円大臣
(つぶらのおおおみ)の娘、韓姫は雄略天皇の皇后として、清寧・顕宗
・仁の3天皇賢を設けた。
つまり、16代仁徳天皇から24代仁賢天皇に至る9天皇のうち、安康
天皇を除いた8天皇が葛城氏の娘を后妃か母としているのである。

 このことは、葛城氏と大王家の政治的連携を、婚姻策によって保た
れていたことを意味し、葛城氏が常にヤマト王権の最高執政官・大臣
(おおおみ)として権勢を誇る背景となっていた。

権勢を誇る葛城氏の娘、磐之媛の宮中における影響力も大きなな
ものであったに違いなく、宮中では仁徳天皇と対等の発言力を持ち、
自分以外の王妃の存在など、到底認めなかったであろうことは、容易
に推察されるのである。

図2葛城氏とヤマト王家の勢力分布
(クリックで拡大)


図4葛城4邑と交通路
(クリックで拡大)


図3葛城氏とヤマト王家の姻戚関係


写真3葛城地域最大の宮山古墳(クリックで拡大)



磐之媛と八田皇女
仁徳天皇が、磐之媛が認めるはずもないのを承知の上で、八田皇女を妃として宮廷に
招き入れた理由については複雑な背景がありそうだ。

実は八田皇女は右の系図に示すように仁徳天皇の異母妹であり、同母兄に菟道稚郎
子皇子(うじのわきいらつこ)がいる。『日本書紀』によれば、応神天皇は、後継に末子の
菟道稚郎子皇子をあてるつもりでいたが、応神天皇の崩御後、大鷦鷯尊(おほさざきの
みこと、仁徳天皇)と菟道稚郎子は皇位を譲り合い空位のまま3年が経ち、菟道稚郎子
は自らの命を断って大鷦鷯尊に皇位を譲った。その際、大鷦鷯尊に妹の八田皇女を
後宮に納れるよう遺言したという。

 これが事実だとすれば、仁徳天皇は弟との約束を果たそうとし、何とか磐之媛の事後
承諾を得ようとしたものと理解できる。しかしプライドが高い磐之媛は天皇を許さず、
仁徳天皇自身が筒木に出向いて説得しても、再びに高津宮には戻らなかった。
 磐之媛は、とりわけ皇族出身の八田皇女の後宮入には強く反対していたといわれ、
仁徳天皇が八田皇女を皇后としたのは、磐之媛がなくなって3年後であった。

 何れにしても磐之媛は三人の子(いずれも天皇)に恵まれ、八田皇女に子供ができな
かったのは、運命の皮肉というべきか。それから1600余年、磐之媛は奈良市佐紀町
字ヒシアゲにある古墳の中で静かに眠っている。そして八田皇女の陵墓とされるウワ
ナベ古墳は、そこからわずか500メートルの位置にある。


図5応神天皇から仁徳天皇への系図


図6磐之媛と八田皇女の陵墓の位置関係:奈良市佐紀町古墳群(クリックで拡大マップ)


写真4磐之媛陵に比定されているヒシアゲ古墳(クリックで拡大)


写真5八田皇女の陵墓と推定されるウワナベ古墳(クリックで拡大)


参考文献
写真・図面引用先
写真1 藤ノ木古墳出土宝飾品:http://www.bell.jp/pancho/k_diary-2/2008_11_07.htm ベニバナの花粉が語る藤ノ木古墳の被葬者像う
写真2 川崎幸子の博多人形:http://item.rakuten.co.jp/shogeikan/10000875/ 東京書芸館
写真3 葛城地域最大の宮山古:http://www.bell.jp/pancho/k_diary-8/2013_07_14.htm 「トンボの眼」
写真4 磐之媛陵:http://blog.livedoor.jp/myacyouen-hitorigoto/archives/44614899.html エナガ先生の講義メモ 宇奈太理坐高御魂神社の参道C磐之媛陵
hitorigoto/archives/37559044.html エナガ先生の講義メモ 棚倉神社 京田辺市
写真5 八田皇女の陵墓:https://ja.wikipedia.org/wiki/八田皇女

図 2 葛城氏とヤマト王家の勢力分布 :http://isana-yokohama.tumblr.com/post/137862204892/古道地形マニア飛鳥を歩く-C5世紀に天皇家と勢力を二分した豪族葛城氏
図 3 葛城氏とヤマト王家の姻戚関係 :http://bunarinn.lolipop.jp/bunarinn.lolipop/bunarintokodaisi/jiyomontoasuka/B/2/kawai.html 葛城族」北葛城郡河合町
図 4 葛城4邑と交通プ :http://www.bell.jp/pancho/k_diary-11/2014_05_30.htm 飛鳥博物館では開館20周年記念特別展『ヤマト王権と葛城氏』
図 5 応神天皇の系図 :http://www.k4.dion.ne.jp/~nobk/hime/iwanohime.htm 「磐之媛」考
図 6 紀町古墳群マップ :http://www.geocities.jp/j_imada1999/xa_kfn09.htm 佐紀古墳群(奈良市)

参考文献
https://ja.wikipedia.org/wiki/葛城氏

http://bunarinn.lolipop.jp/bunarinn.lolipop/bunarintokodaisi/jiyomontoasuka/B/2/kawai.html 葛城族」北葛城郡河合町

http://www.bell.jp/pancho/k_diary-11/2014_05_30.htm 飛鳥博物館では開館20周年記念特別展『ヤマト王権と葛城氏』

http://isana-yokohama.tumblr.com/post/137862204892/古道地形マニア飛鳥を歩く-C5世紀に天皇家と勢力を二分した豪族葛城氏

http://www.bell.jp/pancho/k_diary-11/2014_05_30.htm 考古学と文献史学から見た古代豪族葛城氏の盛衰

http://www.bell.jp/pancho/k_diary-8/2013_07_14.htm 「トンボの眼」の歴史講座で、葛城市歴史博物館の館長千賀 久氏

http://www.k4.dion.ne.jp/~nobk/hime/iwanohime.htm 「磐之媛」考

http://www.weblio.jp/content/仁徳天皇 代天皇辞典

https://ja.wikipedia.org/wiki/八田皇女

http://www.weblio.jp/wkpja/content/ 八田皇女概要

https://ja.wikipedia.org/wiki/仁徳天皇


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