蒲生野(がもうの)について

蒲生野の薬猟
 時は近江朝最盛期の668年、天智天皇は蒲生野の地で薬猟(くすりがり)を催した。
日本書紀には「天皇七年丁卯の夏五月五日に、蒲生野に縦狩(みかり)したまふ。時
に、大皇弟(大海人皇子、後の天武天皇)・諸王・内臣と群臣、皆悉に従ふ」とある。
大津遷都を祝う宮廷あげての壮大で華やかな行事であったに違いない。

 「薬狩」はもともと中国の行事であったものが、推古天皇の頃日本に伝わり、聖徳
太子が狩猟の弊害を直すために催したのが始まりとされる。ムラサキ草の白い花
を見つけると馬上からそれに矢を放って人に取りに行かせるという野遊びを中心に、
自然に親しみ、薬草を学び、宴も楽しむ行事であったらしい。

 そして天智天皇の蒲生野遊猟の場の、額田王と大海人皇子の、あまりにも有名
な贈答歌(万1-20および21)が多くの人の心を魅惑したことから、「蒲生野」は
万葉集の中で最も有名な地名の一つとなり、千三百年以上を経た現在も、万葉
集を愛する人びとの心をとらえ、ロマンをかきたててやまないのである。

蒲生野の位置
 蒲生野は現在のどの辺りなのだろうか?そもそも蒲生野という呼称は固有名詞
ではなく 「蒲生郡の野」という意味だとされる。蒲生郡というのは、現在の近江
八幡市・八日市市・安土町・竜王町・日野町など、湖東南部の広い範囲を占める
が、蒲生野はその中の条里制地割の空白地帯であり、図1に緑色で示すように、
八日市市から近江八幡市にかけての一帯だと推定されている。

 なお、当時は現在より琵琶湖の湖面が広かったので、蒲生野は汀から近い地点
から広がっていたと推測される。

 蒲生野は火傷に効くとされるガマ(蒲)が自生していたことから出た地名で,
のち紫草などを栽培する薬園が置かれたと思われる。延喜式では近江国は全国
最多種の薬石を上納する規定になっているが,そのうち蒲生野で栽培採取され
たものが多かったであろう。
 しかし、『日本書紀』の天智天皇七年の縦猟の記事以外に、「蒲生野」という
地名は、上代のいかなる文献にも姿を見せないという。そして、『日本書紀』に
よれば、天智天皇八年には「山科の野」で「薬猟」が催されいる。


図1蒲生野の位置(クリックで主要部拡大)


 
写真1蒲生野のシンボル船岡山遠望(クリックで拡大)


 
写真2 船岡山頂上の万葉公園モニュメント(クリックで拡大)


 
写真3蒲生野東端の岩戸山(クリックで拡大)


 
写真4 岩戸山山頂からの蒲生野俯瞰(クリックで拡大)


 


 
引用参照文献
写真・図面引用先
写真1 蒲生野のシンボル船岡山:https://www.westjr.co.jp/company/info/issue/bsignal/10_vol_130/issue/01.html Blue Signal JR西日本
写真2 船岡山頂上の万葉公園:https://www.westjr.co.jp/company/info/issue/bsignal/10_vol_130/issue/01.html Blue Signal JR西日本
写真3 蒲生野東端の岩戸山:http://www.azuchi-study.com/huukei-6.htm 岩戸山十三仏
写真4 岩戸山山頂からの蒲生野俯:http://www.azuchi-study.com/huukei-6.htm 岩戸山十三仏
図 1 蒲生野の位置 :Yahooマップを加工修飾
図 2 蒲生野周辺マップ :Yahooマップを加工修飾
コラム写真 むらさき草の花 :http://blogs.yahoo.co.jp/kenmochibunko3/5029886.html 四国文藝秘誌

本文参照文献

https://ja.wikipedia.org/wiki/天智天皇

http://www.azuchi-study.com/huukei-6.htm 岩戸山十三仏

http://www1.tcnet.ne.jp/hanahide/gamouno.htm 蒲生野の遊猟

http://homepage1.nifty.com/miuras-tiger/gamouno.html 蒲生野での出来事




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