額田王の生涯       

謎に包まれた歌人、額田王
額田王の生涯は深い謎に包まれている。ほぼ同時代に活躍した女性
・持統天皇の生涯については日本書紀が克明に記述しているのに対し、
額田王に関する日本書紀の記述は、意図的としか思えないほど少ない。
したがって、彼女が残した作品を通じてしかその人となりを伺い知るこ
とができないのである。

しかし幸いなことに、万葉集には額田王の長歌三首、短歌九首の合計
十二首が記載されている。そのほかにも、高市皇子、大海人皇子、弓削
皇子から額田王への贈答歌や挽歌が残されている。
日本書紀のような書き整えられた歴史よりも、万葉集に残された歌の
方が、より真実の歴史をわれわれに伝えているのかも知れない。

額田王の生誕は635前後で、没年は7世紀末と推定されるが、万葉
集に残された額田王の歌を時系列的たどると以下ようになる。
1)皇極天皇代 額田王の歌 未詳(1-7)
2)斉明天皇代 額田王の歌(1-8)
3)(斉明天皇)紀温泉に幸せる時、額田王の作る歌(1-9)
4)(天智)天皇の内大臣藤原朝臣に詔したまふ時の長歌(1-16)
5/6)額田王、近江の国に下る時に作る長歌(1-17)反歌歌(1-18)
7)天皇の蒲生野に遊猟したまへる時、額田王の作る歌(1-20)
8)額田王、近江天皇を思ひて作る歌(4-488、8-1606)
9)天智天皇の大殯(おおあらき)の時の歌(2-151)
10)山科の御陵より退り散くる時に、額田王の作る長歌(2-155)
上記の2首は、671年崩御した天智天皇への挽歌で、当時額田王は30歳代後半。
この後壬申の乱が勃発し大友皇子自害で近江京は滅亡、世は天武・持統時代へ。
以下の歌は持統4年、すでに宮中を辞している額田王への、吉野行幸からの
見舞いに答えたものだが、60歳前後の額田王に、わざわざ吉野から苔むした
松の枝を遣わすというのは、今を盛りの持統天皇の皮肉か?
11)(持統天皇)吉野宮に幸せる時、弓削皇子に和へ奉る歌(2-112)
12)吉野より蘿生せる松が枝を折取りて遣りたまへる時、
額田王の奉入る歌(2-113)
額田王の生誕地
『日本書紀』には額田王について、鏡王の娘で大海人皇子(天武天皇)
に嫁し十市皇女を生むとあるのみで鏡王の系譜についての記述はない。
鏡王は、「王」称から2〜5世の皇族(王族)出身と推定されるが、居住
地域、つまり額田王の出生地はどのあたりだったのだろう。

 1)額田王の出生地を大和とする説
額田王の出生地は大和国平群(へぐり)郡の額田郷だとする説である。
額田郷は、現在の大和郡山市額田部寺町付近を中心に、東は同市長安
寺町から西は安堵町窪田に至る地域に比定されるという。
額田王が王族の出身であることら、「王」という表記が一般に用いられ、
ほかに額田女王、額田姫王、額田部姫王などの表記が残ることから、
宮廷内で高い地位を与えられた歌人とする見方が多い。

その一方で、額田王は幼くして郷里の家を出て大和平群郡の額田部
一族に育てられた、三輪山の巫女であったとする説がある。万葉集に、
額田王が近江の国に下る時に三輪山との別れを悲しむ歌(長歌:1-17、
反歌:1-18)があり、彼女と三輪山との強い結びつきを示すとする。

三輪山は神体山であり物部(もののべ)氏の祖が祭神となり、歴代の
物部氏は天皇家の祭司を務めていた。したがって三輪山の巫女である
額田王は、宮中の皇族と常に接することのできる高い地位にあったで
あろう。しかも当時の天皇の后は物部氏の女子から選ばれることが多
かった。額田部一族は物部系であり、額田王が物部出身の女性であっ
たため、王権争奪の渦中におかれたのだという。

図1額田時代の都の変遷(クリックで拡大)


 
図2額田郷があったとされる地点


図3平群郡額田郷に比定されている地域(現、大和郡山市額田部寺町周辺)


写真1奈良盆地を額田郷に沿って南下する佐保川(クリックで拡大)


 
写真2奈良盆地から望む三輪山(クリックで拡大)


 
2)額田王の出生地を近江とする説
 鏡女王は、近江国野洲郡鏡の里の豪族・鏡王の娘だとする説である。

滋賀県の竜王町と野洲市の境界に位置する標高385mの鏡山は、そ
の緑豊かな美しさが街道を行く人々の心に安らぎを与え、遠く万葉の昔
より、数多くの歌人に愛され歌枕として詠まれてきた。
注記)歌枕「鏡山」:和歌では「鏡」とかけて用いることが多い。
(http://kobun.weblio.jp/content/鏡山より引用)

鏡山の山麓には数多くの古墳が分布し、竜王町の鏡から薬師(くずし)
にかけての間だけでも50基以上を確認されている。鏡山の山名はこれら
の古墳から鏡が出土したことからとも伝わる。
鏡山の北側は鏡の里と呼ばれ、鏡氏をはじめ古代氏族の活躍の場で
あった。そして当地の真照寺の案内書には、「鏡王は鏡神社の神官で、
その娘、鏡王女や額田王は、神官家で育てられました。万葉の有名な
歌人、額田王は、この地の出身といえます。父の鏡王は、後の壬申の
乱(672)での時、大海人皇子(おうあまのおうじ、後の天武天皇)側に
つき戦死し当寺に葬られています。」とある。

鏡神社は全国に散在するが、竜王町の鑑神社はその中で最も古く、
垂仁天皇の代に日本へ渡来した新羅の王子、天日槍(あめのひほこ)、
の従者達がこの地に陶芸や金工を業として住みつき、祖神として天日
槍を祀ったことに始まるという。
そして、天日槍はこの地の幾つかの氏族の祖となったされるが、その中
に額田部湯坐(ゆえ)連という名があるという伝承があり、大和平群の
額田郷とのつながりがあるようで思われ、興味深い。
 
図4近江鏡の里の位置(滋賀県蒲生郡竜王町)


図5鏡の里といわれる一帯(滋賀県蒲生郡竜王町鏡周辺)


写真3鏡の里のシンボル鏡山:標高385m、頂上に巨大な盤座が残る(クリックで拡大)


 
写真4額田王の父・鏡王が神官を務めていたとされる鏡神社(クリックで拡大)


 
額田王終焉の地
額田王は、壬申の乱のあと、飛鳥の官人・中臣大島(なかとみのおおしま)と再婚
したとされるが、その後は晩年の弓削皇子への相聞歌(万2-112、113)以外に
消息を示す情報があまりない。それどころか、持統天皇に「王」の称号を剥奪され
並みの朝臣に落としめられたとする説があり、60歳頃には再婚した夫も失うなど
の不運が続いたようだ。
しかし前述の歌にはそのような翳りは微塵もなく、弓削皇子の問いかけに対して、
しなやかに、鮮やかに切り返し、年の衰えを感じさせない。額田王がどのように亡く
なったかは不詳だが、最後の瞬間まで気品と気概を失うことはなかったに違いない。

注)額田王の弓削皇子に答ふる歌二首
いにしへに 恋ふらむ鳥は 霍公鳥(ほととぎす) けだしや鳴きし 吾が念へるごと(2-112)
み吉野の 玉松が枝は 愛しきかも 君が御言(みこと)を 持ちて通はく(2-113)

ところで、奈良県桜井市粟原の粟原バス停から坂を登ると、集落の上の方に
草壁皇子(くさかべのみこ)の菩提を偲んで建立されたという粟原寺(おおばらで
ら)跡の礎石が残っている。この粟原寺は中臣朝臣大嶋(なかとみのあそんおお
しま)が寺の設立を発願し、彼の死後比賣朝臣額田(ひめのあそんぬかた)に
より完成されたと談山神社所蔵の国宝『粟原寺三重塔伏鉢』に刻まれている。

実は、この比賣朝臣額田が額田王であり、彼女が亡くなる前の数年をここで過ご
したといする説がある。しかし全ては謎のまた謎の中である。
 
額田王の墓所
額田王の墓所は不詳である。持統天皇には立派な陵墓(天武持統天皇陵)が
あるというのに何と不公平なことだろう。

ところが、ここが額田王の墓だという伝承の地がある。明日香村の野口、小学校
の西隣りの古墳状の小さな丘、ここが額田王の墓だと地元の人たちは信じている。

小学校の脇から道なき道を登り行くと、丘の頂上にひっそり歌碑が建っている。
表側には弓削皇子への贈答歌(1-112)が、そして裏側には額田王がここに葬られ
た経緯が刻まれている。それには慶雲元年(704)持統天皇の崩御を機に、葛野王
が別の場所にあった額田王の墓を、天武持統陵にほど近いこの地に移した、とある。
葛野王は十市皇女と大友皇子の間に生まれた、額田王の孫に当たる皇子である。

持統天皇の目を気遣って別の場所に密かに埋葬されていた額田王を、もはやはば
かる必要はないと周囲の人たちは考えたのだろう。持統天皇と額田王の確執を象徴
するようで興味深い。額田王は、やはりここに眠っているような気がする。
 
図6栗原寺跡がある地点:クリックで部分拡大


写真 8栗原寺跡:クリックで拡大


写真 9栗原寺十三重石塔:クリックで拡大


図7額田王の歌碑(墓)がある地点:クリックで部分拡大


写真5北方の亀石側から見た歌碑の丘:左端が明日香小学校(クリックで拡大)


 
写真6額田王の墓とされる歌碑:花と線香が供えられていた(クリックで拡大)


 
写真7歌碑の裏側:慶雲元年の文字が見える(クリックで拡大)


参考文献
写真・図面引用先
写真1 佐保川風景:http://koriyama-tonosama.com/?p=5678 ぶらり西へ東へ大和郡山
写真2 三輪山遠望:https://retrip.jp/articles/21095/ 日本一のパワースポット!神が宿る伝説の山「三輪山」の魅力
写真3 鏡山:http://yagiken.cocolog-nifty.com/yagiken_web_site/2006/03/post_9239.html Yagiken Web Site 湖東の額田王ゆかりの地 鏡山(西の竜王山)
写真4 鏡神社本殿:http://frypan.asablo.jp/blog/2010/04/14/5018021 のむけはえぐすり; 近江の帰化人 鏡神社
写真8 栗原寺跡:http://blog.livedoor.jp/hokenoyama66/archives/52318214.html ホケノ山 拾遺記
写真9 栗原寺十三重石塔:http://blog.livedoor.jp/hokenoyama66/archives/52318214.html ホケノ山 拾遺記

図 1 古代の都宮分布 :旧ふきのとうドットコム
図 2〜7 :Yahooマップを加工


参考文献
https://ja.wikipedia.org/wiki/額田王

http://www.town.ryuoh.shiga.jp/yoshitune/kagami.html 竜王町ホームページ 義経元服の地 鏡(かがみ)の里周辺の見どころ

http://yagiken.cocolog-nifty.com/yagiken_web_site/2006/03/post_9239.html 湖東の額田王ゆかりの地:

ttp://enkieden.exblog.jp/18924843/ 古代史探訪

http://www7a.biglobe.ne.jp/~kamiya1/mypage42.htm 天武天皇の年齢研究  額田王の年齢

http://www.jtw.zaq.ne.jp/kamifu-sen/nukata-n.html 額田王簡易年表西歴

http://enkieden.exblog.jp/22311915/ 古代史探訪 額田王(ぬかたのおおきみ)

http://www.nantokanko.jp/kokaidou/199.html 奈良大和路 古街道ウォーキング 忍坂「おっさか」街道を歩く 粟原廃寺から宇陀の辻へ

http://blog.livedoor.jp/hokenoyama66/archives/52318214.html ホケノ山 拾遺記

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/nukata.html 額田王 千人万首首

http://manyou.plabot.michikusa.jp/uedakohun.html 明日香村へ行こう 額田王の墓(植山古墳)

http://urano.org/kankou/otusaka/otusak03.html 日本最古の地名、忍坂街道、額田王の里  その3

http://www.bell.jp/pancho/travel/ossaka/kagamino_ookimi.htm 鏡女王忍阪墓 かがみのひめみこおっさかのはか

http://yagiken.cocolog-nifty.com/yagiken_web_site/2006/03/post_9239.html Yagiken Web Site 湖東の額田王ゆかりの地 鏡山(西の竜王山)

http://frypan.asablo.jp/blog/2010/04/14/5018021 のむけはえぐすり; 近江の帰化人 鏡神社


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