人麻呂の赴任地(浜田)と妻・依羅娘子の生誕地(江津)


天武天皇の頃から飛鳥宮に出仕し宮廷歌人として名を馳せた人麻呂は、晩年、石見の国の国司として赴任、現地妻に
依羅娘子(よさみのおとめ)を娶った。当時の人麻呂の官位は定かでないが、地元では国守であったと信じられている。

人麻呂の赴任地:石見国府(浜田市下府町)
石見国府の位置は確定していないが、浜田市に、上府 (かみこう)、下府(しもこう)という地名が残っていて、この辺りに
国府があったと推定されている。とくに下府にある伊甘神社(いかんじんじゃ)は、『延喜式』にある石見国総社が合祀され
、周辺に御所、御館府などの古字名が残っていることから、この神社近辺に国庁があったとされる。

妻・依羅娘子の出生地:恵良の里(江津市二宮町神主)
依羅娘子は万葉集に歌三首が収録されているほどの、感性豊かな才人である。諸説あるが、依羅氏は、摂津国住吉郡
大羅郷から河内国丹比郡依羅郷にかけての地域を本拠とした氏族で、大和政権が石見一帯を治めるために送り込んだ
物部一族などとともに石見に住みついたと考えられる。ちなみに石見の一宮は太田市の物部神社である。

依羅娘子の誕生地として伝承されているのは江津市二宮町神主の南端の恵良の里という集落で、付近の高台に君寺
といういう小庵があり、ここが依羅娘子の父親の館跡だとされている。なお恵良とは依羅のなまりで、地元では依羅娘子の
ことを恵良媛(えらひめ)さま、と親しみをこめて呼んでいる。

人麻呂と依羅娘子を祀る都野津柿本神社(江津市都野津)
山陰本線都野津駅の西方約500メートルのところに都野津柿本神社がある。このあたりは依羅娘子の寓居があったと
され、柿本神社には人麻呂と依羅娘子が祀られている。
図1人麻呂の赴任地:浜田市下府と妻・依羅娘子の生誕地:江津市二宮


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