三河湾に二つの安礼の崎

大宝2年(702年)、持統天皇の三河行幸に同行した高市黒人が歌に詠んだ「安礼の崎」については、
図1のように三河湾の中に二つの説がある。

一つは、蒲郡市の西浦半島の先端にある御前崎で、 ここが「安礼の崎」と考えたのは、アララギ派
の歌人で万葉研究者でもあった土屋文明と御津磯夫である。彼らは黒人の歌が海上航行中に詠われ
たとする考え方から、この地御前崎を安礼の崎とすべき最適地であると、著説に詳説いるという。 この
岬からの海上展望には素晴らしいものがあり、心象的には説得性のある説である。
なお、御前崎近くの稲村神社を中心に「万葉の小径」が設けられ歌碑が散在する。
もう一つは、豊川市御津町御馬の音羽川河口付近を安礼の崎とする説である。この辺りは埋め立て
地で、往年の面影は全くないが、付近に「引馬」という地名が残っていて、これが武市黒人の安礼の崎
の歌と同じ三河行幸の折に長忌寸奥麿(ながのいみきおきまろ)詠んだ、
「引馬野に にほふ榛原(はりはら) 入り乱れ 衣にほはせ 旅のしるしに」 巻1-57
の「引馬」であるとし、齊藤茂吉などがこれを支持している。そして「引馬野」伝承地とされる引馬神社
が近くにあり、境内に茂吉の「引馬野安礼の崎」の碑がある。
 なお、音羽川の河口付近に「安礼崎」という地名があるが、埋立地でもあり、ユーモアのある後付け地名
とでもいうべきだし、「引馬野」と「安礼崎」が近くにある必然性もない。 
図1三河湾に二つある安礼の崎(クリックで拡大)

写真1夕暮れの安礼崎をゆく棚なし小舟(イメージ合成)

写真2棚なし小舟(丸木舟)の再現模型:安土城考古博物館(クリックで拡大)

蒲郡市西浦町稲村:御前崎

図2蒲郡市西浦半島先端部のマップ:御前崎周辺(クリックで拡大)

写真3御前崎からの眺望:前方は渥美半島(クリックで拡大)

写真4万葉の小径の風景(クリックで拡大)

写真b小径の階段

写真a万葉の小径入り口

写真d小径の歌碑群

写真c稲村神社拝殿

豊川市御津町新田:音羽川河口

図3豊川市御津町:音羽川河口付近のマップ:御前崎周辺(クリックで拡大)

写真5音羽川河口風景:前方は西浦半島御前崎(クリックで拡大)

写真6引馬神社の鳥居と拝殿:右側は引馬野伝承記念碑(クリックで拡大)

写真7斎藤茂吉揮毫による、万葉歌碑(クリックで拡大)

浜名湖にあったという、もう一つの安礼の崎

大宝2年(702年)秋、持統天皇(すでに譲位し上皇)の三河行幸は、同年に台風で甚大な被害を受けた東海地方の慰問
を兼ね、10月10日から11月25日にかけて、伊賀、伊勢、美濃、尾張、三河を巡る大旅行であった。そして高齢の持統上
皇は帰郷後の12月13日に昏睡状態となり、22日に死去したという。
江戸中期の国学者で歌人でもある賀茂真淵は、この行幸の折持統上皇は浜名湖を一周したと考え、高市黒人の歌にあ
る「安礼の崎」は浜名湖の一部であり、長忌寸奥麿の歌にある「引馬」は現浜松市中区の「曳馬」であると主張した。
まことに壮大な説であるが、浜名湖は明応7年(1498)の大地震で外海に注いでいた浜名川が埋まり、その東側に新しい
口(今切口)が開いて海水が浸入、さらにその後も1605年、1707年、1854年とたび重なる大地震と大津波によって地形
が変貌し、万葉時代の安礼の崎がどこにあったかの比定は困難である。
それに賀茂真淵説が事実だとすれば、なぜ高齢の持統上皇が遠路はるばる浜松の地まで足を伸ばしたのか、なぜ高市
黒人や長忌寸奥麿が浜名湖周辺で数々の歌を詠いながら、風光明媚だった筈の三河で歌を詠まなかったのか、など多くの
疑問点が生じる。賀茂真淵は浜松出身であったから、多少郷土愛に傾いた説かも(賀茂)。
図4三河湾から遠州に至る沿岸マップ:安礼の崎はどこに?(クリックで拡大)

図5現在の浜名湖と万葉時代の浜名湖(クリックで拡大)

図6浜松市曳馬付近のマップ(クリックで拡大)

図7古の浜名湖想像図(クリックで拡大)

引用参照文献
写真・図面引用先
写真1 夕暮れの安礼崎:旧ふきのとうドットコム
写真2 棚なし小舟:http://blogs.yahoo.co.jp/iwakuratei8823/7953980.html 『万葉集』をよむ(60)万葉の旅愁歌人 高市黒人歌
写真3 御前崎からの眺望:http://blowinthewind.net/manyo/manyo-hikumano.htm 万葉の旅 引間野ひくまの安礼あれの崎
写真4 万葉の小径の風景
a)小径入り口:http://www.jalan.net/kankou/spt_23214aj2200025722/ 万葉の小径
b)小径の階段:https://cinema.ne.jp/recommend/gamagori2015122007/ 地域発信型映画「ガマゴリ・ネバーアイランド」のロケ地巡り
c)稲村神社拝殿:https://cinema.ne.jp/recommend/gamagori2015122007/ 地域発信型映画「ガマゴリ・ネバーアイランド」のロケ地巡り
d)小径の歌碑群:http://blowinthewind.net/manyo/manyo-nishiura.htm 万葉の旅 西浦温泉「万葉の小径」の歌碑
写真5 音羽川河口風景:http://blowinthewind.net/manyo/manyo-hikumano.htm 万葉の旅 引間野ひくまの安礼あれの崎歌
写真6 引馬神社の鳥居と拝殿:http://www.net-plaza.org/KANKO/toyokawa/jinjya/hikuma/index.html 9等級 引馬神社
写真7 斎藤茂吉万葉歌碑:http://www.net-plaza.org/KANKO/toyokawa/jinjya/hikuma/index.html 9等級 引馬神社

図 1 三河湾に二つある安礼の崎:生誕の地と終焉の地 :GoogleMap、一部追加修飾
図 2 蒲郡市西浦半島先端部:http://www.net-plaza.org/KANKO/gamagori/sizen/manyo-komichi/index.html
万葉の小径 蒲郡市西浦町稲村からの引用図+Yahooマップを加工追加修飾
図 3 豊川市御音羽川河口付近 :http://www.net-plaza.org/KANKO/toyokawa/jinjya/hikuma/index.htmlからの引用図+YahooMap
図 4 三河から遠州沿岸マップ:Yahooマップ(拡大図はGoogleマップ)を加工追加修飾
図 5 現在と万葉時代の浜名湖 :https://ja.wikipedia.org/wiki/浜名湖からの引用図+GoogleMap
図 6 浜松市曳馬付近マップ :Googleマップを修飾
図 7 古の浜名湖想像図:http://www.hamamatsu-books.jp/essay/detail/33.html 浜名湖の移り変わり

本文参照文献

http://blogs.yahoo.co.jp/iwakuratei8823/7953980.html 『万葉集』をよむ(60)万葉の旅愁歌人 高市黒人

https://ja.wikipedia.org/wiki/高市黒人

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/kurohit2.html 高市黒人 千人万首

http://blowinthewind.net/manyo/manyo-nishiura.htm 万葉の旅 西浦温泉「万葉の小径」の歌碑

http://www.asahi-net.or.jp/~gi4k-iws/sub25-13.html 蒲郡市西浦町稲村地内 万葉の小径

http://blowinthewind.net/manyo/manyo-hikumano.htm 引間野ひくまの安礼あれの崎 万葉の旅

https://www.insightnow.jp/article/9527 旅行マニアの持統女天皇:和歌山から浜名湖までの錬金術旅

http://unebiyama.blog.fc2.com/blog-date-201510.html 飛鳥一人発掘隊のブログ 持統太上天皇の参河行幸

http://www.hamamatsu-books.jp/essay/detail/33.html 浜名湖の移り変わり

https://ja.wikipedia.org/wiki/浜名湖

http://love.ap.teacup.com/korremitz/1483.html 六條院日記 2012/3/10 「三遠万葉歌碑めぐり(3終)」 旅日記


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