高市黒人について

高市黒人については、その生没年や場所、官歴などの情報が全く残されていない。
万葉集に記載された歌から、持統天皇から文武天皇の時代に、恐らくは従五位以下
の下級官吏として大和朝廷に仕えていたらしい、と推察されるのみである。

高市氏は、大和国高市県(現在の奈良県高市郡および橿原市の一部)を管掌した
天孫系氏族で、高市県主自身は壬申の乱に際しての功績により、天武天皇から連
(むらじ)の姓を授けられたという。

しかし、黒人が連であったかどうかは疑問で、彼がしばしば武市連黒人と呼ば
れるのは、人麻呂が柿本朝臣人麻呂とされるのと同様、後人の尊称だろう。
いずれにせよ我々は、黒人の人生観や心情を残された歌から詠みとるしかない。

注1)天孫系氏族:天照大神の子孫で、神武天皇以前に皇族系統から枝分かれした氏族。
注2)連(むらじ):臣(おみ)と並ぶ高位の家柄。大伴や物部などは大連(おおむらじ)。

図1高市氏が管掌した大和国高市県近辺のマップ

引用先:GoogleMap地形図

高市黒人が万葉集に残した歌は18首で、羇旅の歌が13首、雑歌が5首、全て
が短歌である。羇旅の歌は、山背(山城)、近江、尾張、などの旅先で詠われ、それら
の孤独感や哀愁を包み込んだ豊かな叙情性は、後年の山部赤人などの歌に影響を
与えたことから、黒人は叙景歌の先駆者とも称される。

以下、冒頭に掲げた歌以外で(筆者が秀歌と考える)歌、数首を列記しておきたい。

古の人に我あれや楽浪(さざなみ)の古き都を見れば悲しき(万1-32)

四極山(しほつやま:所在不明)打ち越え見れば笠縫の島榜ぎ隠る棚無小舟(万3-272)

いづくにか我は宿らむ高島の勝野(かちの)の原にこの日暮れなば(万3-275)

早来ても見てましものを山背(やましろ)の多賀の槻群(つきむら:欅の林)散りにけるかも(万3-277)
図2黒人が旅した地域

引用先:旧ふきのとうドットコム

<参照文献>
https://ja.wikipedia.org/wiki/武市黒人

http://blog.hix05.com/blog/2007/07/post_295.html  高市黒人:旅愁の歌人(万葉集を読む)

http://uyopedia.a.freewiki.in/index.php/天孫(氏族)

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/kurohit2.html 高市黒人 千人万首

高市黒人の歌とゆかりの地に戻る