9.大伴旅人(おおとものたびと)7〜8世紀:太宰府(福岡県)、鞆の浦(広島県) 
  大伴旅人は六十三歳で大宰帥(だざいのふそち:太宰府長官)に赴任、筑前守であった山上憶良などと所謂
 筑紫歌壇を形成し多くの名歌を残したが、間もなく同行の妻、郎女(いらつめ)が死去、その悲しみも癒えぬ
 早春、梅花の宴での(八二二)は散る花を雪に例えた風流の中に無常観が漂う. この梅花の宴で残された歌は
 32首、憶良、僧満誓、大伴坂上郎女、小野老などの名が連なる. この年の暮れ、任期を全うし大和に帰国の
 途中 鞆の浦での(四四七)は、赴任時妻と立寄った折に二人で愛でた「むろ」の木に深い思いを込めて詠う.

  歌:原文(訳文は→こちら

       ばいくわのうた  あわせて                 そちのおきなのいへにあつまりて
     梅花歌卅二首[并序]   天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會

          わがそのに     うめの はなちる     ひさかたの   あめより  ゆきの    ながれ  くるかも  
 (その8)「和何則能尓 宇米能波奈知流 比佐可多能 阿米欲里由吉能 那何列久流加母」(巻五-822)

        てんぴゃう  かうご     だざいふそちおほとものけい                         とものうらをよぎるひ 
     天平二年庚午冬十二月大宰帥大伴卿  向京上道之時作歌五首 右三首過鞆浦日作歌

        とものうらの いそのむろのき  みむごとに  あひみしいもは    わすらえめ やも  
 (その2)「鞆浦之 礒之室木 将見毎 相見之妹者 将忘八方」(巻三-447)









 鞆の浦風物詩 引用先:旧ふきのとうドットコム


 西国名所鞆の浦 引用先:旧ふきのとうドットコム