大伴旅人と太宰府・松浦

大伴旅人が万葉集に残した歌は56首とされるるが、このうち太宰府以前が
2首、帰京後が5首であるのに対し、太宰府滞在中が39首、太宰府からの帰
京途中が10首という。旅人の人生において、僅か3年足らずの太宰府滞在が
何と大きなウェイトを占めていることだろう。

筑紫歌壇

大伴旅人が太宰府の師(そち、長官)に着任したのは神亀4年(727)、63歳
の時である。左遷だったかどうかかは兎に角 、老年を迎えていた旅人にとって、
都を遠く離れた九州での生活は、精神的にも体力的にかなり辛いものであった
だろうその上に、最愛の妻であった大友郎女(いらつめ)が、大和からの長旅の
疲れがもとで赴任後間もなく病死したことに、深い無常観を抱いたに違いない。

しかしそのような旅人が、この太宰府の地で山上億良や僧満誓らと出会った
ことは、旅人自身はもちろん、日本の詩歌の歴史にとっても大変幸せなことで
あった。彼らは互いに刺激しあい、老年にしてなお文芸への情熱を奮い立たせ
ながら、多くの佳作を生み出すに至ったからである。彼らのこのような活動は、
後世「筑紫歌檀」と呼ばれるようになったが、その中でも万葉的に最も有名な
のが、天平2年(730) 大伴旅人邸で開かれた「梅花の宴」であろう。

なお、大伴旅人の大宰帥時代については史料が万葉集に限られているため、
周辺人物との関係などについては推測の域を出ないが、万葉集に残された歌
を通して、我々は多くのことを感じ、学び知ることができる。

梅花の宴

天平2年正月13日、大伴旅人は自邸で、中国的文雅の雰囲気の「梅花の宴を
開催した。万葉集巻五には、「太宰帥大伴の卿の宅に宴してよめる梅の花の歌
三十二首」が、漢文風の序とともに一括して収められている。

この宴は、管下の国司や高官を招いて開いたもので、参加者は32人、大宰府と
地元筑前のほかに、九州各国の官人、さらには,太宰少弐の小野老(おののおゆ)
、筑前守山上憶良、 観世音寺別当沙弥満誓(しゃみまんせい)、旅人の異母妹
大伴坂上郎女(さかのうえのいらつめ)らが出席した。

宴の主人旅人の歌は本文で解説したように、
「わが園に梅の花散るひさかたの天(あめ)より雪の流れ来るかも(5-822)
と夢幻の境地を絵画的に描写したのに対し、憶良は
「春さればまづ咲く屋戸の梅の花独り見つつや春日暮らさむ(5-818)
と歌い、2年前妻を亡くした旅人へのいたわりの心を滲ませている。
僧満誓の歌
「青柳梅との花を折り挿頭し飲みての後は散りぬともよし(5-821)
は、宴に酔い心から満足している気分を詠って楽しい。また、小野老は
「梅の花今咲けるごと散り過ぎず我が家の園にありこせぬかも(5-816)
と、旅人の家の梅の見事さを誉め称えている。
なお小野老は、太宰府着任直後に奈良の都を懐かしんで、
「青丹よし寧樂の都は咲く花の薫(にほ)ふがごとく今盛りなり(3-328)
と詠んでいる。

ところで大伴坂上朗女は、このころ妻を亡くした旅人のもとに、旅人の子・家持
の養育と大伴家の刀自(一家の主婦)を務めるため太宰府に来ていたのだが、
万葉集では額田王に次ぐ女流歌人といわれながら、この宴に歌を残していない
のは、来客を接待する立場の礼儀からか。
もっとも、旅人も亡くなっての後に、この当時を懐かしんで
「今もかも大城の山にほととぎす鳴き響むらむわれなけれども(8-1474)
と詠っている。

                          
図1太宰府から博多湾遠望
写真1太宰府市街から大野城跡(四王寺山/大城山)を俯瞰:太宰府政庁の画像を合成
写真2梅花の宴:イメージ写真(クリックで拡大)
写真3太宰府政庁本殿の再現模型(クリックで拡大)
松浦河に遊ぶ

肥前国松浦郡(現在の唐津や伊万里にかけての一帯)は、『魏志倭人伝』で
末盧國(まつろこく/まつらこく)と呼ばれた地域で、対馬や壱岐を経由する
大陸との交流の拠点になっていた。このため古墳や遺跡など歴史や伝説に
富み、風光も明媚であることから、太宰府の官人たちもしばしば訪れた。

大伴旅人も管内巡察の途次、名勝として知られたこの地を訪れ、「松浦河に
遊びて贈り答ふる歌」と題し、11首の歌を詠んでいる。

この松浦河というのは現在の松浦川ではなく、玉島川という小河川のことで、
全長はわずか16kmに過ぎないが、滝や湿原など自然が豊かで、シロウオ、ア
ユ、ウナギ、ツガニなどの資源にも恵まれた川である。

この玉島川の下流に垂綸石(すいりんせき)という岩がある。その昔、神功皇后
は新羅へ渡航出兵する折に松浦地方に立ち寄り、戦勝を占うためこの岩の上に
昇り釣り糸を垂らしたところ、たちどころに鮎がかかり戦勝を確信したという。

また玉島川から松浦川にかけての一帯には、今も松浦佐用姫(まつらさよひめ)
の悲しい物語が伝承されている。
537年、新羅に出征するためこの地を訪れた武将・大伴狭手彦(さでひこ)と、
この地の豪族の娘・佐用姫が恋仲となり契りを交わしたが、やがて出征のため
別れの時が来た。佐用姫は鏡山の頂上から領巾(ひれ)を振りながら舟を見送
ったが、別離に耐え切れず舟を追って呼子まで行き、加部島で七日七晩泣き明
かして石になってしまったという。佐用姫の生まれ変わりは弁財天
注記)佐用姫の生誕地については右下図に示した@〜Cの説がある。

大伴旅人が、このような神話や伝説を背景に描いたのが「松浦河に遊びて贈
り答ふる歌」であり、名勝として知られた玉島川を舞台に旅するの貴人と乙女
との夢のような出会いを物語風に展開したものである。
内容的には漢文風の序と、乙女との間で交わされた贈答歌など全体で十一
首から構成されるが、その中から旅行きの貴人が贈った歌三首と、乙女がこ
れに応えた歌三首を以下に示す。

蓬客(ほうかく、さすらいの旅人)等が贈った歌三首
「松浦川川の瀬光り鮎釣ると立たせる妹が裳の裾濡れぬ(5-855)
「松浦なる玉島川に鮎釣ると立たせる子らが家道知らずも(5-856)
「遠つ人松浦の川に若鮎(わかゆ)釣る妹が手本を我こそ巻かめ(5-857)
娘等が応えた歌三首
「若鮎釣る松浦の川の川波の並にし思はば我恋ひめやも(5-858)
「春されば我家の里の川門(かはど)には鮎子さ走る君待ちがてに(5-859)
「松浦川七瀬の淀は淀むとも我は淀まず君をし待たむめ(5-860)

旅人は、この作品の着想を、中国唐代の神仙物語「遊仙窟」に求めたといわ
れる。「遊仙窟」は、神仙境を舞台に繰り広げられる幻想的で官能的な物語で、
当時の知識人に新鮮な刺激を与えていたらしい。
なおこの時代太宰府にいた山上憶良は、旅人の「松浦河に遊ぶ歌」に触発さ
れて松浦佐用姫の歌を三首詠み、旅人もその後佐用姫の歌を二首残している。

酒の賛歌

大伴旅人は、酒をこよなく愛した人といわれる。まして都から遠く離れた太宰
府で最愛の妻を亡くした旅人にとって、鬱々とする気持ちを和らげてくれるものは、
酒を置いてほかにはなかったにちがいない。
そんな旅人の「酒を讃むる歌」十三首から三首ほど。

「験なき物を思はずは一坏(つき)の濁れる酒を飲むべくあるらし(3-339)
「あな醜にく賢しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む(3-345)
「この代にし楽しくあらば来生(こむよ)には虫に鳥にも吾は成りなむ(3-349)

図2九州北部の河川分布(クリックで拡大)
図3古代松浦(まつら)地方の主要範囲:東に玉島川、西に松浦川(クリックで拡大)
写真4鏡山から唐津湾:眼前は虹の松原、右端に玉島川(クリックで拡大)
写真5唐津湾からの鏡山:背景は脊振山地(クリックで拡大)
写真6玉島川の河口俯瞰(クリックで拡大)
写真7神功皇后伝説の垂綸石(クリックで拡大)
写真8玉島川上流の鮎釣り風景(クリックで拡大)
写真9観音の滝:日本滝百選(クリックで拡大)
写真10弁財天は佐用姫?:岩船寺蔵(クリックで拡大)
図4大伴旅人肖像画:菊池容斎(クリックで拡大)
引用参照文献
写真・図面引用先
写真1 太宰府から大野城跡俯瞰:http://ameblo.jp/daikeisui/entry-11508377232.html 大宰府の鬼門に位置する竈門神社(寶満宮)について
写真2 a)http://ganref.jp/gallery GANREF 舞い散る梅
ならびにb)http://blog.goo.ne.jp/yuukodou/e/ff47e2feec8bbd99ac9dde7c6694b7f3 筑紫における歴史的文化の探求と漫遊 博多人形師山村延
写真3 太宰府政庁本殿の再現模型:旧ふきのとうドットコム
写真4 鏡山から唐津湾:https://ja.wikipedia.org/wiki/鏡山_(佐賀県)別名・領巾振山
写真5 唐津湾からの鏡山:http://www.asobo-saga.jp/photo/detail.html?id=8 フォトランド
写真6 玉島川の河口俯瞰:http://kyushu-tsuri.com/2017/04/10/玉島川河口/ 九州の釣り情報・空撮釣り場サイト Berth(バース)
写真7 神功皇后伝説の垂綸石:http://blog.livedoor.jp/coco612/archives/3015410.html 古の風に吹かれて 松浦川と神功皇后
写真8 玉島川上流の鮎釣り:http://nakahara-9turi.at.webry.info/201106/article_11.html 店長こせき自由奔放日記
写真9 観音の滝:http://www.splasher.jp/waterfalls/index.html 滝データベース 佐観音の滝 (日本の滝100選)
滝の拡大写真:http://mpv21hiro.blog.fc2.com/blog-entry-738.html hiroの部屋 日本の滝百選 観音の滝
写真10 弁財天坐像:http://meguru.nara-kankou.or.jp/inori/hihou/gansenji/event/05w9lh6rrd/ 秘仏・弁財天、秘仏・羅刹天特別開扉(岩船寺) 岩舟寺弁財天坐像

図 1 太宰府から博多湾遠望:http://ameblo.jp/aqua-2nd/entry- 11610062210.html 歴史OLアユのブログ 大宰府展示館
図 2 九州北部の河川分布:旧ふきのとうドットコム
図 3 古代松浦(まつら)地方 :GoogleMap地形図(一部追加修飾)
図 4 大伴旅人肖像 :YahooMap(一部追加修飾)


本文参照文献

http://ja.wikipedia.org/wiki/大伴旅人

http://fukuoka-senjin.kinin.com/data/item/758 ふくおか先人資料館  文学・芸術 大伴旅人 太宰師(そち)

http://manyo.hix05.com/tabito/tabito.baika.html (万葉集を読む) 大伴旅人:梅花の宴

http://manyo.hix05.com/tabito/tabito.index.html 万葉集を読む 大伴旅人:酒の讃歌

http://achikochitazusaete.web.fc2.com/manyoukochi/saga/matura.html 万葉の旅 松浦川

http://manyo.hix05.com/tabito/tabito.matsura.html 万葉集を読む 大伴旅人:松浦川の歌と松浦佐用姫伝説

http://www.karatsu-kankou.jp/karatsunmon_radio090924.html 唐津観光協会 万葉集1250年、唐津の万葉を訪ねる

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tabito2.html 大伴旅人 千人万首

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/sakano2.html:大伴坂上郎女 千人万首



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