山部赤人ゆかりの地

赤人ゆかりの三つの地
万葉集に長歌13首・短歌37首を残し、後世、大伴家持が「山柿の門」と呼び、紀貫之が「人麿は、赤人が上に
立たむことかたく、赤人は人麿が下に立たむことかたくなむありける」と賞賛したこの大歌人は、その出生の地や
経歴、終焉の地や年齢など、一切が謎に包まれている。

赤人が残した歌の中で制作年の知られる歌は、すべて聖武天皇(在位724年 - 749年)時代の作であり、
いずれも天皇の地方行幸に同行した時の歌である。したがって宮廷歌人であったと思われるが、官位は外従
六位下と低かったらしい。しかも、天平八年(736)年の吉野行幸を最後に作が残されていないことから、この頃
没したと推察されるが死因など終焉の状況は不詳である。

しかし、下図に示した@、A、およびBの三つの地域に赤人にまつわる遺跡や伝承が残されている。これらの
地をたどって、少しでも赤人の実像に近づいてみたい。

                          
図1山部赤人像(明治初期の官僚・古美術研究家の蜷川式胤所蔵品)
図2山部赤人ゆかりの三つの地
赤人ゆかりの地@:滋賀県東近江市

滋賀県東近江市の最南端、日野町にほど近い田園地帯に、山部神社と赤人寺(しゃくにんじ)がひっそり佇む。
観光客など滅多に見かけない片田舎の、何の変哲もない小さな神社と寺。山部赤人ゆかりの場所だといわれて
も、いささか唐突な印象を受けないでもない。

しかしよく考えればそうではない。東近江市という名は聞きなれないが、もともとは八日市や永源寺、蒲生野
といった史跡や歴史に富んだ地域の集まりである。この山部神社や赤人寺がある下麻生町も、もとはといえば
蒲生野郡に属し、西方には額田王ゆかりの鏡の里、南には山上憶良ゆかりの山辺郷があり、古代史的には由緒
ある地域なのだ。そして山辺という地名は山部にも通じるのである。

現状は、東海道本線(琵琶湖線)の米原駅と関西本線(草津線)の貴生川駅を結ぶ近江鉄道の電車が1時間に
1本程度しか通らない過疎地だが、万葉時代に山部赤人がかかわりを持った土地だとしても不思議はない。
                       
図3山部神社の位置ミクロマップクリックで拡張表示
写真1 近江鉄道朝日大塚駅(クリックで拡大)
写真2 近江鉄道の代表的車両(クリックで拡大)
図4 山部神社の位置マクロマップクリックで拡大表示
山部神社と赤人寺

山部神社は、もともと小松大明神と呼ばれ、松の木を神木とする産土神(うぶがみ、土地の守護神、鎮守の神)
で、歴史は古く、藤原時代の古鏡や室町時代の掛仏などがあるという。

この小松大明神と山部赤人との関係が取りざたされるようになったのは、江戸時代後期の国学隆盛の頃らしい。
とくに近江出身の桂園派の歌人・渡 忠秋(わたり ただあき、御歌所ご用掛)は、周辺の伝承などを調査した結
果、「赤人寺」は山部赤人の創建であり、「小松社」は赤人の廟にあたると結論した。そして、慶応元年(1865)
蒲生郡の領主・関盛章(せき うじもり、旗本寄合、5000石)にその旨を報告し赤人廟碑の建立を進言した。

その後、関盛章の撰により赤人廟碑の碑文が刻まれ、明治元年(1868)「赤人廟碑」として境内に建立され、
以後小松社は山部神社として定着した。碑文には「赤人寺は山部赤人の創建で小松社は赤人の廟にあたり、近く
には赤人の墓や赤人桜とよぶ桜木があった」と記されている。

一方、隣接する赤人寺(しゃくにんじ)の境内にある略縁起には、赤人が夢のお告げによって当寺を創建する
に至った経緯が記されている。しかし開創期に元正天皇(げんしょうてんのう)から「養老山」の勅額を賜って
「赤人寺」と名づけたという伝承には時間的な矛盾を感じないでもない。
というのも赤人が宮廷歌人として活躍したのはのは、元正天皇の次の聖武天皇の時代であり、まだ未熟な
下級官吏の赤人が、なぜ勅額をもらえたのかという疑問が残るからである。

とはいえ、赤人が観世音を護持して寺を建て、この地で生涯を閉じたと言い伝えを否定する根拠はどこにも
ないし、まして堂裏に文保2年(1318)建立された、国指定重要文化財の七重石塔に、地域の観音信仰と深く
結びついてきた赤人寺の歴史的な重みが感じられるのである。

                         
写真3 山部神社本殿裏にある赤人廟碑(クリックで拡大)
写真6 赤人寺にある国重文の七重石塔:赤人供養塔(クリックで拡大)
写真4 山部神社拝殿(クリックで拡大)
写真5 赤人寺本堂(クリックで拡大)
赤人ゆかりの地A:奈良県宇陀市

大和高原の南端、宇陀市榛原(はいばら)の山の辺の里近くに、額井火山群の主峰、額井岳があり、
その秀麗な山容から 大和富士の別名で親しまれている。 その南山麓は 山部赤人の出身地と伝え
られ、晩年の赤人はこの地に戻り、「大和富士」のふもとで永眠したとされ、
高さ210cmの五輪塔が赤人の墓と伝えられている。
ただ、この塔は鎌倉時代建立とみられる比較的粗雑な造りのもので、赤人の墓という確証はない。
「山辺」という地名と大和「富士」との連想から生じた 伝説という説もある。
しかし、地元の人は、これが赤人の墓と信じて疑わない。なお、墓の近くには歌碑もある。
 所在地;宇陀市榛原山辺3
      
写真7 大和富士とも呼ばれる額井岳:標高812m、鳥見山からの眺望(クリックで拡大)
写真8 赤人の墓とも伝わる五輪塔:高さ210cm(クリックで拡大)
図5 赤人墓のミクロ位置マップ(クリックでマクロ位置マップ)
赤人ゆかりの地B:千葉県東金市

千葉県東金市田中、雄蛇ヶ池という大きな池の近くの農道脇に、榎木に守られた「赤人塚」という石碑がある。
現状のものは文化二年(1805)建立らしいが、なんとこれが山部赤人の墓だというのが地元の言い伝えである。
大和から遥かに離れたこの東国の地で赤人が終焉を迎えたとは!、と驚くばかりである。

それだけではない。藤原定家とともに「新古今和歌集」の編纂にあたった飛鳥井雅経(あすかい まさつね)を
祖とする飛鳥井家の古文書『古今抄』に、「赤人は上総国山辺郡の人なり」と書かれていることから、地元には
赤人がこの地の出身者であるとする説が根強くあるらしい。確かに東金市が山辺郡の一部であったのは事実だ
が、この「赤人は上総説」は、飛鳥井雅経自身がとなえたわけではない点に注意を要するだろう。

まだある。赤人塚の近くにある法光寺には、桧の一木作りの赤人像があ秘蔵されている。作者は不詳だが、
文化年間の作と推定され、市の文化財に指定されている。この法光寺は、延徳元(1489)年に日泰上人が開基
し、江戸時代には3代将軍徳川家光から寺領18石を寄進されたほどの、由緒のある寺ではある。

さらに赤人の田子の浦の富士の歌、実は内房の勝山港(旧鋸南町)から見た富士とする説もあるのである。
勝山の周辺海域は、かって田子の浦と呼ばれていたという。そして江戸時代後期の、安房鴨川出身の国学者・
山口志道(杉庵)はその著、百首正解の中で、山部ノ宿弥赤人の富士を望みて詠める歌を論じ、「田子の浦は、
東海道にあらずして、この地なり」としているという。

たしかに勝山は、今でも関東随一の富士山眺望地とされているのだが、いくら赤人と言えども、この小さな
富士の眺望から、あのスケールの大きい富士山の歌が詠えたとは思えないのだが。

かの冷徹な国学者・賀茂真淵が、高市黒人の歌に詠まれた「安礼の崎」は、三河湾ではなく浜名湖にあるとする
地元贔屓の説を唱えたことがあるが、国学者・山口志道の説にも地元贔屓の節が感じられないでもない。
  
写真9 赤人塚:左の細いのが塚、大きい方は歌碑(クリックで拡大)
写真10 法光寺本堂と赤人木像(クリックで拡大)
写真11 雄蛇ヶ池(クリックで拡大)
図6 赤人塚のミクロ位置マップ(クリックでマクロ位置マップ)
写真12 勝山からの夕富士(クリックで拡大)
引用参照文献
写真・図面引用先

写真1 近江鉄道朝日大塚駅:https://ja.wikipedia.org/wiki/朝日大塚駅
写真2 近江鉄道の標準的車両:https://ja.wikipedia.org/wiki/近江鉄道
写真3 赤人廟碑:http://photozou.jp/photo/show/203651/232723266 フォト蔵 山部神社 (1)
写真4 山部神社拝殿:http://blog.eotona.com/?p=14244 きままな旅人 万葉歌人・山部赤人の眠る赤人寺(しゃくにんじ)
写真5 赤人寺本堂:http://blog.eotona.com/?p=14244 きままな旅人 万葉歌人・山部赤人の眠る赤人寺(しゃくにんじ)
写真6 七重石塔:http://blog.eotona.com/?p=14244 きままな旅人 万葉歌人・山部赤人の眠る赤人寺(しゃくにんじ)
写真7 額井岳:https://ja.wikipedia.org/wiki/額井岳
写真8 赤人の墓:http://narabito.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-cf99.html 鹿鳴人のつぶやき 奈良のまちかどから 山部赤人の墓 2
写真9 赤人塚:https://www.toganekanko.jp/2012/03/2101/ 東金市と万葉歌人 山辺赤人(やまべのあかひと)
写真10 法光寺本堂:https://twitter.com/sasashin2143/status/745883170613125120 ご朱印ハンター 千葉県東金市 法光寺ご首題
写真10 赤人像:https://www.toganekanko.jp/2012/03/2101/ 東金市と万葉歌人 山辺赤人(やまべのあかひと)
写真11 雄蛇ヶ池:https://ja.wikipedia.org/wiki/雄蛇ヶ池
写真12 夕富士:https://524select.com/archives/6537 房総勝山からの富士山と夕景
図 1 山部赤人肖像画:https://ja.wikipedia.org/wiki/山部赤人
図 2 山部赤人ゆかりの三つの地:Google地形マップに一部追記
図 3 山部神社の位置ミクロマップ :Yahooマップに一部追記
図 4 山部神社の位置マクロマップ :Google地形マップに一部追記
図 5 赤人墓のミクロ位置マップ :Yahooマップに一部追記
図 6 赤人塚のミクロ位置マップ :Yahooマップに一部追記


本文参照文献

http://ja.wikipedia.org/wiki/山部赤人

http://www.tendai-shiga.com/uranan-19.html 蒲生町下麻生赤人寺

http://blog.eotona.com/?p=14244 きままな旅人 万葉歌人・山部赤人の眠る赤人寺

http://blog.goo.ne.jp/2014kurumatabi/e/60b1cc32c91594826e226049ba359e82 今、出発の刻 梵釈山 涌泉寺、養老山 赤人寺・山部神社

http://www5e.biglobe.ne.jp/~truffe/taju-sekito.htm 日本の石塔  多重層塔 石造三重塔・石造五重塔・石造十三重塔など

http://www.jalan.net/kankou/spt_29383aj2200025226/ 山部赤人の墓について

http://narabito.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-cf99.html 鹿鳴人のつぶやき 山部赤人の墓 2

https://www.toganekanko.jp/2012/03/2101/ 東金市と万葉歌人 山辺赤人(やまべのあかひと)

http://www.town.kyonan.chiba.jp/kyonan/categories/田子の浦と田子の台/ きょなんまち 田子の浦と田子の台

http://bousou.txt-nifty.com/blog/2008/09/post-d50b.html 房総史譚 東金の「山辺赤人塚」を再訪して



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