薩た峠(さったとうげ)の富士

赤人の富士の歌は、薩た峠からの富士を詠んだのだものだと考える人が多い。根拠は二つある。

まず第一に、万葉時代に東海道を下って最初に富士山に出会うのが薩た峠だからである。下図に
示すように、当時の由比海岸線に平坦地はほとんどなく、東海道は崖に接した厳しい山道になって
いた。そして山道の頂上にある薩た峠に登りつくと、突如眼前が開けて絶景が展開するのである。
右に紺碧の駿河湾が開け、左に白雪を頂く富士山という感動的な光景が目に飛び込んでくるのだ。
この薩た峠の絶景は、右の写真に示すように今も変わらない。ただ、万葉時代以降の大地震で
山肌が崩壊してできた平地の上を自動車道が走る光景は、当時と全く異なる。

根拠の第二は「たご」という地名の由来だ。古来「たこ・たご」は「たか 高・崇・貴」から転訛したもの
で、「高い土地」や「段差のある地形」の意味であった。だから、万葉当時の「田子の浦」は、駿河湾の
内奥の砂浜に沿った地帯ではなく、山並みが海に迫った由井の沖合のことだったという。
さった峠は、この「高い土地、田子」の 中ほどにある。まさに「田子の浦ゆ、うち出て見れば真白にぞ」
であり、赤人の富士の歌は、薩た峠以外ありえないとうのが結論のようだ。
写真1薩た峠からの富士その1:確かに絶景だが(クリックで拡大)
図1万葉時代の由比海岸付近:東海道は海沿いの崖道(クリックでマクロマップ表示)
写真2薩た峠からの富士その2:足元を隠すと当時の光景に近づく(クリックで拡大)
写真3薩た峠からの富士その3:富士山頂は当時のまま(クリックで拡大)
図2歌川広重「東海道五十三次」由比:崖っぷちの由比海岸と富士(クリックで拡大)
引用参照文献
写真・図面引用先

写真 1 薩た峠からの富士その1:http://dekowalker.at.webry.info/200901/img1_13.123194178879516308903.html 健やかウオーキング 私の富士山百景
写真 2 写真2薩た峠からの富士その2:http://dekowalker.at.webry.info/200901/img1_13.123194178879516308903.html 健やかウオーキング 私の富士山百景

写真 3 写真2薩た峠からの富士その3:http://dekowalker.at.webry.info/200901/img1_13.123194178879516308903.html 健やかウオーキング 私の富士山百景

図 1 万葉時代の由比海岸付近:Google地形マップ+旧ふきのとうドットコム
図 2 歌川広重「東海道五十三次」由:https://ja.wikipedia.org/wiki/薩た峠

本文参照文献

https://ja.wikipedia.org/wiki/田子の浦

https://ja.wikipedia.org/wiki/薩た峠

kotobank.jp/word/田子の浦-319894 〔静岡県〕田子の浦(たごのうら)

http://baba72885.exblog.jp/10814593/ 目からうろこの地名由来

http://blog.goo.ne.jp/haru2006_1964/e/f1c4dea9e8241efd2f2bb11205231cbe セレヤの山の下

http://www.geocities.jp/ikoi98/photo/toukaidou/02/20081/812.html 東海道 さった峠

http://www.plantatree.gr.jp/oragafuji/maps/list.cgi/itsuwa/arekore/?39 「富士山」逸話あれこれ


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